【リーダーインタビュー】大規模プロジェクトを動かすPLが語る、指導論。
ダーツのプロを目指したフリーター時代を経て、27歳で未経験からインフラエンジニアの道へ飛び込んだ青江さん。2025年1月にアイティアスリートへ入社後、わずか数か月で約1億円規模のプロジェクトのPLを任され、現在は大手航空会社の機器バージョンアッププロジェクトでPMに近い役割を担っています。そんな青江さんに、異色の経歴から培ったリーダーとしての哲学や、メンバーの成長を支える指導術、そして九州支社の立ち上げ責任者という壮大な目標について伺いました。
目次
「1年後にはPMに」社長の言葉が決め手になった。
――青江さんのご経歴はかなり個性的だと伺いました。どのような歩みを経てエンジニアになられたのでしょうか。
一言で言えば「モラトリアムを全力で楽しんでいた」人生でした(笑)。大学を中退後、一度は営業職に就いたのですが、環境が合わずに3か月で退職。その後はダーツのプロを目指してフリーターとして生活していました。転機は27歳の時です。ふとGoogleで「30歳 フリーター」と検索したら、「やばい」「終わり」という言葉が並んでいたんです。「これは本気で就活しないといけない」と危機感を覚えたのが、キャリアを考え直すきっかけでした。
――そこからなぜ、未経験でエンジニアという選択肢を選んだのですか?
営業は相手や商材によって正解が変わりますが、技術は共通の言語であり、問題解決のプロセスに再現性があります。「自分の力で物事を紐解ける」という点に魅力を感じました。オンライン学習サービスを活用して独学から始め、1社目の研修でインフラ構築に触れた際、「ゼロからイチを作る」楽しさに感動したんです。文系出身の自分にとって、形のないところから環境を作り上げる経験は新鮮で、そこからはインフラエンジニア一筋で歩んできました。
――前職もインフラエンジニアとして活躍されていたそうですが、アイティアスリートに転職を決めた理由は何だったのでしょうか。
前職では5年ほど中流・上流工程を経験していたのですが、途中から担当領域が運用中心へとシフトし、自分の市場価値に限界を感じていました。そんなときに、元同僚から「上流工程が多くて、青江さんの性格に合う会社がある」と紹介されたのがアイティアスリートです。
――選考の中で、特に印象に残っていることはありますか?
中村社長が、驚くほど正直に会社の現状を話してくれたことです。他社では「ゆくゆくはPMに」と曖昧に濁されることが多かったのですが、中村社長は「今はPMができる人が足りない。青江さんの経験なら、まずはPLから入って1年後にはPMになってほしい」と、明確な期間と役割を提示してくれました。大手企業からの誘いもありましたが、社内政治に翻弄されるより、ベンチャー気質のあるこの環境で「自分にしかできない経験」を積む方が価値があると確信し、入社を決めました。
入社早々、1億円規模のプロジェクトへ。周囲のフォローが心強かった。
――2025年1月の入社後、すぐに大きなプロジェクトに携わられたと伺っています。実際にどのような状況でしたか?
入社直後に、約1億円規模のプロジェクトのPLポジションを任されました。正直「最初は小さなプロジェクトからだろう」と思っていたので、良い意味で驚きました。さらに中村社長や富田副社長と一緒にプロジェクトを進めることになり、経営層とこれだけ近い距離で働けるというのも想定外でした。
――かなりプレッシャーもあったと思いますが、周りのサポートはどうでしたか?
規模の大きい案件でしたが、周囲のフォローが手厚く心強かったのを記憶しています。中村社長からお客様への提案資料のレビューを受けていたときに、大阪支社の方からチャットが届いたんです。「もっとこういうことも考えた方がいいね」というアドバイスと一緒に「すごく頑張っているね」という言葉もいただきました。SES企業を渡り歩いてきた中で、殺伐とした現場も多く経験してきただけに、皆さんの人柄の良さと物腰の柔らかさには本当にびっくりしました。
「青江さん、通信できるようになりました!」メンバーの成長が大きな達成感に。

――現在は大手航空会社の機器バージョンアッププロジェクトでPLを担われているとのことですが、具体的にどのような役割を担われているのでしょうか?
実質はPMに近い役割です。プロジェクト上の役割分担として、当社が技術面を主に担当し、プロパーの方がお客様と対話するという形を取っています。私自身はプロパーの方とのやりとりだけでなく、エンドユーザーである航空会社との技術的な折衝や見積もり作成、機器の検証・設定作業なども担当しています。
――メンバーの方への教育も担われています。指導の中で意識されていることはありますか?
2つあります。1つは指示を出す時に、アウトプット・インプット・背景の3つをセットで伝えること。「こういう依頼があったから、この資料をもとに、こういうものを作ってほしい」という形で振るようにしています。もう1つは、ゼロの状態で渡さないこと。完成度50%程度のものを自分で先に作った上で渡すようにしています。また「知らなくて当然」という前提で接することも大切にしていますね。ミスが起きた時も責めるのではなく「次にどうするか」を一緒に考えるようにしています。
――実際にメンバーの成長を実感された瞬間はありましたか?
プロジェクトのフェーズ2で、20台ほどの機器を使った複雑な検証をしていたときのことです。通信がつながらないトラブルが起きて、場所を分担して原因を探っていたら、メンバーが問題箇所を発見してくれたんです。そのときに「青江さん、通信できるようになりました!」と素の声で言ってくれて、とてもうれしかったです。入社当初はケーブルの差し間違えもあったところから、半年後には技術的な議論ができるようになっていた。その瞬間の彼の笑顔を見た時は、自分のこと以上に達成感がありましたね。
九州支社の立ち上げ責任者へ。自分の経験をフォーマット化し、再現性を高めたい
――リーダーとして、チームを動かす上で苦労したことや意識したことはありますか?
実は、最初は全部自分一人で抱え込んでしまい、納期がギリギリになることもありました。その際、中村社長から「もっと周りを頼った方がいい」とフィードバックをもらったんです。それからは「これ私もわからないんだよね」「助けてほしい」と、弱みを隠さずメンバーを頼るようにしました。
それから、判断のスピードが明らかに早くなりました。以前は自分で溢れた作業だけをメンバーに回していたので、メンバーからすると業務の意義が伝わりづらい形になっていたと、今になって感じています。今では、この「頼る力」が自分のプロジェクトリーダーとしての強みだと感じています。
――最後に、今後の目標を教えてください。
短期的には、今のPL・PM補佐としての経験を言語化し、誰でも再現できる「フォーマット」に落とし込みたいと考えています。最近、性格分析のフレームワークを通じて「人によって響く言葉や考え方は全く違う」という当たり前のことに改めて気づきました。個々の性格に合わせた接し方を模索し、チームとしての出力を最大化させていきたいです。
中長期的には、課長という役職を目指しています。そして、いつか「九州支社の立ち上げ責任者」になりたいです。妻が福岡出身で帰りたがっているという個人的な理由もありますが(笑)、アイティアスリートという場所なら、実績を作ればその夢も現実的に叶えられると信じています。



